母に頼りきりの人生

私の人生は母に頼りきりだ。

一人で生きていくと決めたと偉そうなことを言いつつも、現在の私はまったくと言っていいほど一人の力で生きていない。

金銭的にも、日常生活的にも、両親に頼りきりだ。

特に母親への依存は、一般的に見るとまずいレベルと言えるかもしれない。

税金、食事、洗濯、掃除、本来なら私が一人でやるべきあらゆる日常生活の物事を母が片付けてくれるのだ。

正直、両親がどう思っているか分からないが、これが愛情だとしたら断るのも気が引けるが、どうにかしなければならないと思いながら、何も行動を起こせていない。

きっと世の中には私と同じような贅沢な悩みをかけている人がいると思うんだ、その人たちはどうしているのか。

まあ、こんな贅沢な悩みを抱えている時点で、私は本当に恵まれているのだろう。

もし私が他人として、現在の私を見た場合、憧れはしないが羨ましい。

だって家事って本当に大変じゃないですか、一切やらずに済むならそれに越したことはない、みんな言わないだけで心の中ではそう思っているはずだ。

そして、それが許されているという現状は、自立すべき年齢の大人としては恥ずべきことかもしれないが、一人の人間として考えると、とても恵まれていることだと思う。

じゃあその恵まれた環境を自ら手放したいかと問われれば、決して手放したくないというのが私の本音だ。

もともと世間様に顔向けできるような人生を送ってきたわけではないし、世間からどう思われるかよりも、私自身の幸せの方が大切だ。

もちろん将来的に苦労することは重々承知だ。

いつまでも両親のすねをかじって生きているようではいけない、いま頑張れない人間は明日も頑張れない、そんなことは言われなくても分かっている。

それでもやはり、人間が追い求めるべきは自身がいま幸せを感じられる生き方であるべきだ。

私は結婚するつもりもない、物音も怖いから出来るだけ外に出たくない。

だけど、それが私の幸せなら、どれだけ世間とズレていようと、私が幸せと感じる人生を追い求めていきたいのだ。

そこで再び考えてみよう、私は母に頼りきりだ、それはいけないことだろうか、いや、私は母に頼りきりの人生は幸せであると自信を持って言うことができる。

現代の社会をしっかりと生き抜くことは容易ではない。

私の聴覚過敏のように、その他大勢の人ができることをできない人は確実に存在している。

そんな人たちにとって、いまの日本、世界をその他大勢の人々と同じように生きていかなければならないというのはあまりにも過酷だ。

だから、例え私の人生が母なしでは成り立たない残念な人生に思われても、私は誰かに支えられながら生きている幸せを今日も噛みしめていくんだ。

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