父の物音に敏感な人生

私は父が家庭内で出す物音に非常に敏感である。

私の実家は2階建て、1階は両親の仕事スペース、2階が生活空間と生活環境だ。

母は優しかったが、父は時々恐い時があり、私も兄も、父にはとても気を使って過ごしてきた。

その時々恐い時は、たいてい父が大きな物音を立てて始まることが多く、私は、父が家庭内で出す物音に物凄く敏感になっていた。

すると不思議なもので、最初は父の出す音だけに恐恐としていたのに、ありとあらゆる音に対して瓶んん位なっていた。

何かが床に落ちる音、ドアが閉まる音、しまいには突然話しかけられるだけで、大袈裟に驚いてしまうようになった。

今思えば、父への恐怖が物音への恐怖に変わり、あらゆるものへの恐怖心から身を守るために、波風立てずに平穏に過ごそうとするあまり、兄の歩んでいった道を模倣したのかもしれない。

ただ、この物音に敏感、いわゆる聴覚過敏は本当に厄介である。

室内外、家族、友人、他人、誰に対しても発動してしまうが故に、誰に対しても距離を置こうとしてしまうのだ。

聴覚過敏で悩んでいる私のような人は、これは極論だが、どこにも出かけず、誰にも会わないことこそが平穏で幸せな生活になってしまう。

しかし、現代社会では、どこにも出かけず、誰とも会わずに生活をしてくことはなかなか難しい。

有能な人物ならばそれも可能かもしれないが、あいにく私にそんな能力はなく、お金がないと生きていけないので、誰でも出るような簡単お仕事をして、少しだけお金を稼いで生きているのが現状だ。

だが、そんな生活でもうまく自身が納得できるバランスを見つけることができれば、そんなに悪いものではないと私は思っている。

実際に私は、世間的なスペックで見れば幸せからは程遠いが、いま現在幸せである。

収入は少ないが、時々は実家で父の物音に怯えながらも、それでも必要な場合以外はどこに出かけず、誰にも会わず平穏に生きることができている。

そこに輪をかけて、新型コロナウイルスの影響によりステイホームが求められるようになり、ますます私にとって生きやすい世の中になっているという部分もあるが、私自身が納得してこの人生を送っているというのは非常に大きい。

音が怖い、これが私の人生を邪魔し続けてきたのは事実だ。

両親は私に手を上げたことないし、いまも実家に置いてくれる、本当に優しくしてくれていることには感謝しているが、ただ一点、私が音を怖がるようになってしまったことだけはどうにもならなかった。

そんななかでも私が生きやすいように生きることをサポートしてくれること、たった今もこうして生きていられることに大いに感謝したい。

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