兄の歩んだ道を真似するだけの楽な人生

私の人生は、兄の後を追うだけの楽な人生だった、大学に入るまでは。

兄と私の年齢差は3歳差、兄が中学を卒業すると私は中学へ入学、兄が高校を卒業すると私が高校へ入学、兄が就活を終える頃に私が大学にするという順序で生きてきた。

もし私が第一子だったらおそらく、やれ中学が不安だ、高校進学はどうすればいいのか、大学と専門学校はどうすればいいのか、先が見えないなかで不安だった思う。

しかし、優秀だった兄は部活動をこなしながら学業でも好成績を収め、学区内のいわゆる難関高校へ進学して、大学も誰もが名前を知っている有名大学へ進学した。

普通、優秀な兄がいると第二子はうまくいかないものだが、私はただひたすらに兄のやり方を真似て、聞けばなんでも教えてくれる優しい兄のおかげで、あまり苦労せず兄と同じ道を歩むことができたのだ。

兄と同じ高校へ進学して、そこそこの大学へ進学できた、正直、人生なんて楽なものだと当時は思っていた。

しかし、兄が自分で考えて失敗しながら試行錯誤して歩んだ道を、そのやり方を上辺だけ真似てその道を歩んだ私とでは、天と地ほどの差があるのだ。

それに気づいたのは、大学で自分には目指すものも、やりたいことも、何もないと気付いた時だった。

私は本当に中身の空っぽだった、ただ兄の真似をしていればうまくいくし、褒められて、怒られることなく、平穏に生きてこれたからだ。

だが、本来、人生とはそんなもんではない。

自らの欲求や喜びを見つけ、自らの社会で果たすべき役割を見つけ、それらを満たしながら生きていくのであるはずだ。

にもかかわらず、私はただ兄の歩んだ道を真似して生きてきた、それが楽だったから。

そして大学に入った私は自らの空虚さに気付き、こんなはずじゃなかった、何も考えずに兄の真似だけして生きてきたから、大学という自由を謳歌できる場所での振る舞いが分からず、ひとり殻に閉じこもってしまった。

それ以来、私は何に対してもうまくいかない人生が続いている。

これじゃいけないと頭では分かっていても、なかなか人生を変えることは難しいものだ。

ただ、うまくいかないながらも、それを認めて、ある意味開きなって生きてみると、意外と気楽でもある。

大学に入ったばかりの頃は、周りを見れば大学という最後のモラトリアムを楽しもうという人々ばかりで、ただ気付いたら大学にいたような私との差に絶望していたかもしれないが、今の私はそう思わずにいれられるようになった。

周りにどれだけ恵まれた人がいようとも、私はその人になることはできない、その人の命も私の命もお互いに一つだけ、どちらもただただ生きているだけなんだと思えるようになったのだ。

今はもう結婚して幸せを掴んだ兄と同じ人生を真似することはできない、だから私は私の人生を生きていくだけなんだ。

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